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伊藤 孝

地学と老釣り師

更新日:2020年6月15日

 私は化石少年や鉱物少年ではなく,夜空や雲を何時間でも見ていられる天体少年,気象少年でもありませんでした。そんな私が,現在,地学に関係した仕事についているきっかけを考えてみると,二つのことが思いあたります。一つは子どもの頃,宮城県で暮らしており,しょっちゅう大地が揺れていたこと。特に,1978年の宮城県沖地震のインパクトは強烈でした。ちょうど中学校のグランドで野球の練習をしていました。今まで感じたことのない訳のわからない感覚に身体全体が包まれたと思った瞬間,地面が大きく揺れ,おもわずへたりこみました。遠くでガラスが割れる音,叫び声,古い体育館が埃を吐き出しながら大きく揺れ,みんなが右往左往している様子を覚えています。部活はそこで中止になり,家々の塀が崩れ,プロパンガスのタンクは横倒し,という見たこともない景色のなか帰宅しました。家に入ると,どっしりと構えていたはずのテレビや本棚が倒れていました。私が暮らしていた地域は震度5の揺れでしたが,地球に対する畏れというか,大地に潜むパワーを実感するには充分な経験でした。  もう一つは高校一年生となったある日のこと。プレートテクトニクスがどのようなプロセスを経て,成立していったか,という内容の地学の授業を受けました。大陸の形,大西洋を隔てた大陸間の化石が似ていることから始まって,古地磁気のはなしになりました。ヨーロッパと北米で取られた古地磁気データが食い違っているが,もし大西洋を閉じてみるとどうなるか,という話を,奇をてらうこともなく,朗朗と話して下さいました。自分にとっては,地学を心から面白いと感じ,スケールの大きさに魅了された瞬間と思います。現在,アクティブラーニングが花盛りですが,従来の講義の形式でも,人の肉声,板書,魅力的なコンテンツ,系統だった構成により,充分,人の心に火を灯すことは可能であると信じて疑わないのは,この経験があるからかもしれません。  自分が当時の先生ぐらいの年になったとき,何かの拍子にこの授業のことを思い出しました。ともかく電話で感謝の意を伝えようと考え,高校の卒業アルバムを引っ張りだし,住所を調べました。NTTの電話番号案内に問い合わせたところ,幸運にも先生は引っ越されておらず,かつ電話番号も公開されておりました。さて,「先生はまだお元気だろうか」とか「いったいなんとお伝えすべきだろうか」とか考えながら受話器を握ったところ,ちゃんと呼び鈴は鳴り,しばらくしてご家族が出られました。電話した趣旨をご説明し「先生にぜひお礼を」と申しましたところ,「あいにく,今,父は近所に釣りに出かけています」というお答えでした。  「釣り,ですか」とご返事しながら,勝手に中国の山水画に出てくるような老釣り師をイメージしてしまいました。私にたった一回の授業で地学の醍醐味を伝えられた先生は,今なお自然と対峙され,かつ自然と一体となっていらっしゃる。なんと,ありがたい,と思った次第です。

(2018年11月28日記)



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